diary

その後、母のこと

母が寂しがるので、妹は仕事を週3ペースで休みを取って面会に行き、弟も頑張って大阪から来てくれた。

私は週1で。すると「久しぶりやん。しょっちゅう来てっ。来てもすぐ帰ろうとして」って不満を口にする。

15分って決まってるからといってもそんなことは耳が遠いふりをする。。

それでも、わずかな時間、一生懸命励まして、懐かしい写真の2冊目のBOOKを作って、思い出話に花を咲かせた。

娘もばあちゃんっ子で、私が行く日に合わせて来てくれた。

このBOOKの表紙を見た瞬間、大きな声で笑って「可愛いなー可愛いなー」と繰り返していた。

左がいつも写真を撮ってくれてた次女さん。週に1度電話で近況を聞いてくれてます。

母は生まれて3ヶ月で産みの母親をなくしているので、自分の子供が生まれたことがよほど嬉しかったんだと想像する。

本当に可愛がってくれたし、私は今だにお母ちゃんが大好きでたまらない。

子供は親を選んで生まれてくるって聞いたことがあるけど、本当にそう思う。

そんな母は島根県の浜田市で生まれ育ち、5歳の時に、新しい母親が来て、妹2人と弟1人、4人兄弟になった。

私に妹ができた時、その新しいお母さんが、浜田で私をみてあげると連れて行ってくれたのだそう。

同じ敷地内に同じ歳の男の子がいたし、おばあちゃんが子守してくれたので昼間は機嫌良く遊んでいたけど、夜になると寂しくて泣いていたそう。

それでも、写真好きの叔母がたくさん写真を撮ってくれていたおかげで、こんな写真をAIでカラーにしたり動画を作ったりして、母に見せることができ、嬉しそうに見ていました。

カラー写真を見て、アパートの前に米屋さんがあったことを思い出したみたいです。

私が知らなかった思い出話、たくさん聞けてよかった。

そんな母も9月8日に、病院で誕生日を迎え、お祝いした。

卒寿の”卒”は略字の「卆」という漢字を縦に分解すると、「九」と「十」に見えることに由来するそうです。

それと二見興玉神社で ”蘇る・若返る”にちなみ、天然石のかえるのお守りをプレゼントしました。

そして、いつだったか間崎島で真珠養殖をしていたおじいさんに頂いた、本真珠を大切にフィルムケースに入れてしまっていたのを出してきて、63年前、お父ちゃんがお母ちゃんにプレゼントした結婚指輪にみたてて手作りの真珠の指輪も渡しました。

「覚えてる?」ってきくと「あれ、どこやったんやろなぁ」って思い出したようです。

あんなに喧嘩ばかりだったけど、伊勢に来てからは父に大事にしてもらって、幸せなおかあちゃんだと思います。

そして、9月17日、私が62歳になった日に、3ヶ月の入院生活とリハビリを乗り越えて、念願の自宅に帰ってきました。

大好きなはま寿司で、大好きなうどんと寿司のネタだけ食べて、久しぶりに自分のベッドに一目散に寝転がりました。

よかったね。お疲れ様でした。
妹も、お疲れ様でした。

お彼岸なのでお父ちゃんも家でお母ちゃんの帰りを待ってくれていたでしょう。
9月26日はお父ちゃんの命日で三回忌。

いつも、何かに迷ったときは、お父ちゃんが決断させてくれている気がしてるよ。
いつもありがとう。

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